鈴木元氏の新刊紹介② 2024年6月1日のfacebookの投稿から

鈴木元
新刊紹介②
「世の中を変えたいあなたへ 時代と向き合ったある庶民の80年の記録」(あけび書房) 7月発売予定
推薦 内田樹(神戸女学院名誉教授)・安斎育郎(立命館大学平和ミュージアム終身館長)
はじめに
 私、鈴木元は二〇二四年八月八日に満八〇歳になる。明らかに人生の一つの節目である。かつては知合いで亡くなった人は、私より年配の方が圧倒的に多かった。しかし近年では同年代どころか年下の方が沢山亡くなっている。そんなこともあり、私は八〇歳という人生の区切に私の歩んできた道を整理した本を執筆・出版することにした。
 自叙伝は多くの場合、「成功した」人が、あれこれ失敗もあったが、こうして何とか成功したという内容で書かれる。一時成功しても、晩年に倒産したりリストラされた人は、自叙伝的なものは書かないことが多い。私は「成功した人間」でも「失敗した人間」でもない。したがって、つい数年前まで自叙伝的な本を書く気はなかった。
 自叙伝を書こうとした人の多くが途中で止めてしまう。それは手持ちの資料に濃淡があり、一冊の本に書き上げることがむずかしく筆が止まり始めた時、社長や学長をしていた際に「配布」対象としていた人たちが現職を辞めていて配れなくなる。そうこうしているうちに老人世界では元社長や元学長などの経歴はほとんど意味のないことに気が付いて執筆をやめてしまう。私の父も母方の伯父も七〇歳を過ぎた頃から自叙伝を書き始めたが書いて何になるという気持ちになってしまった。その頃、父が私に「結局、私がこの世に残すのはお前たち子どもと孫だなあ」と言った。多くの人々の気持ちはそういうところだろう。
 ただ私には子どもはいない、したがって孫もいない。この世に私のことを覚えている人は私の死とともに消え去っていく。晩年、もの書きのはしくれとしてやってきた私としては、戦後八〇年間、時代と向き合ってきたある庶民の人生を記録し国会図書館に寄贈することも人生最後の仕事ではないかと考えて書くことにした。
 私は第二次世界大戦中の一九四四年八月八日に生まれたので文字通り戦後八〇年という時代を生きてきた。そして高校一年生の時に「六〇年安保闘争」に遭遇・参加し社会問題に目覚め、一八歳となった高校三年生の時に日本共産党に入党し、以来、社会進歩を目指して歩んできた。ところが日本共産党の停滞・後退を目の当たりにし、その刷新が必要と考え二〇二三年二月に『志位和夫委員長への手紙―共産党の新生を願って』(かもがわ出版)を出版した。それに対して共産党の志位指導部は聞く耳持たずで問答無用に私を除名処分し大きな社会問題となった。
 当初、私は本の題名を、自叙伝として「時代と向き合って生きたある庶民の八〇年」と考え書いてきた。しかし私が書いたことは、あまりに酷い現代社会において多くの人々が社会を変えたいと思っており、それらの人の参考になるのではないかと考え直した。私の人生八〇年のうちの六〇余年は共産党員として生きてきた。前半の大半は共産党京都府委員会の専従職員として活動してきた。前半の記述は専従活動を通じて問題の本質を捜む点で一定の示唆になるのではないかと思う。後半は立命館大学などで国際協力を進めてきた。後半の私の経験は世界を見る目に幅広い見方を提供していると思う。そこで、本の表題を「社会を変えたいと思っているあなたへ」とし、サブタイトルとして「時代と向き合って生きてきたある庶民の八〇年の記録から」とした。
 人は、往々にして他人のことはわかるが自分のことはわからないと言われる。私はどちらかというと自省的な人間ではなく「思い立ったら吉日」で、すぐ行動し行動しながら考える。考えながら行動する人間なので「自分は何物か」と考えるタイプではなく「自己肯定感の強い人間」と言われてきた。しかし、できる限り遭遇体験した事実を客観的に、淡々と書いたつもりである。同時に八〇歳になる人間が人生の終わりに書くものだから、「人生の自省の書」としても著して書いたたつもりである。それがどれだけ成功したかは読者の皆さんの判断にお任せしたい。
 この本の出版記念の集いの後、私は身辺整理をして世界への旅に出かける予定である。以前はサハラ砂漠などで「行き倒れになって死にたい」ことを考えたりしたが、残念ながら八〇歳を超えると何日も砂漠を歩いて行き倒れになるだけの体力はない。ただ私が行ったことのないサハラ砂漠以南のアフリカと南米は訪ねたいと思っている。
 二〇二四年七月 八〇歳の誕生日を前にして 鈴木元

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