本日午後3時から、鈴木元氏が東京都内で新刊「さようなら志位和夫殿」の出版記念での記者会見を行う。後日会見の模様はYouTubeで公開予定だ。(公開は後日に)
国会が大変なタイミングでの会見となるが、意義のある会見になると期待している。さきほど、X(旧ツイッター)にも書いたけれど、鈴木元氏が覚悟を持って提起した論点を多くの人たちに検証してほしいと、僕は心から願っている。
新刊書でも再掲されているが、鈴木元氏が提起した多くの論点の一つに、日本共産党への改革提言の1番目にある「不破流共産主義を目標から外し、社会変革を願う人々との共同に努める」という項目がある。
以下、引用する。
共産党は国民の団結を図るために不破哲三流の未来社会論・共産主義を根本目標から外すべきところに来ている。それでは資本主義に問題は無いかと言えばそうではないことは明白で、多様な人々が「資本主義の危機」「資本主義の終焉」など様々な形で資本主義の克服を説いている。しかし提唱者の多くは、資本主義の先の社会は一〇〇年二〇〇年先のこととして述べている。そうしたときに不破氏が、資本主義の先の未来社会についてあれこれ論を立てて、それと違う論を述べる人を「真のマルクス主義者ではない」と批判したり無視したりすることは、様々に社会進歩を望んでいる人々の団結を妨げるだけである。あらゆる社会主義志向勢力を結集して闘うという立場に立つなら、簡潔に「資本主義を克服し、自由・平等・共同の社会を目指そう」と言うぐらいのことで良いであろう」(「さようなら志位和夫殿」206頁)
いま、書店の店頭には、東大教員の斎藤幸平氏のマルクスと資本主義批判の著作が特設コーナーまで作って宣伝されている。
周知のとおり、共産党と「しんぶん赤旗」は頑なまでに、斎藤幸平氏の主張と著作を紹介することを拒んでいる。
共産党が提唱する科学的社会主義とは、人類の豊かな英知を総結集してつくりあげた最も価値ある学説ではなかったのか?斎藤幸平氏を拒絶する、大人げない態度では、「科学的社会主義」の名が泣くというものだが、鈴木元氏は、こうした最近の共産党の動向を指摘して、「不破流マルクス解釈だけが正しく、他の理論は批判・無視するというやり方は建設的ではない。資本主義を批判し、克服していくために、今求められているのは自由で対等・平等な研究討論で共同の道を探ることである)同前・207頁)と述べている。
共産党の第29回大会の決議案でも、「社会主義・共産主義社会と『人間の自由』」という項がおこされ、「従来の分配中心の社会主義論の誤りを正して「生産手段の社会化」を社会変革の中心に据えたことで、「『人間の自由』こそ社会主義・共産主義社会の目的であり最大の特質」といえる、と規定している。
なるほど、人間の自由が人類にとって大切な価値観であることに、異議を唱える人はいないだろう。
しかし、これとて、あくまで一つの価値観にすぎない。ましてや、「従来の分配中心の社会主義」は、本当に誤りなのか?「生産手段の社会化」が正しいのか?は、一人のマルクス研究家であり政党の最高幹部が述べたから「正しい」などというものではなく、「現実の社会状況、国家制度、運動を下に、国民の願いにこたえて運動を積み重ねていく」(鈴木元氏)実践と、そこからフィードバックされる理論との循環的な交流と探究の中から生み出されていくものではないだろうか?
ましてや、である。
第29回大会決議案では、「わが党綱領は、日本における社会主義・共産主義は、資本主義の時代に獲得した自由、民主主義、人権、個性が豊かに引き継がれ、開花することを固く約束し、旧ソ連や中国のような「一党制」や人権抑圧を絶対に起こさないことを明記している。その保障は綱領上の公約にとどまらず、発達した資本主義を土台にして革命を進めるという事実のなかにある。」などと書かれているが、松竹伸幸氏や鈴木元氏を、わずか数十分という短い調査・面談で、一方的に除名処分にするような組織が、「人間の自由」などと述べても、どこかうさん臭く感じてしまうのは、僕だけではない、と思う。
今日の鈴木元氏の記者会見は、もしかしたら自民党が大きく瓦解していく始まりとなるかもしれない、歴史的な日に行われるために、小規模になるかもしれない。しかし、今日、この日に鈴木元氏が会見を行うことは、「自民党政治の終わりに新しい政治をひらく呼びかけの先頭にたちはずの共産党の自壊への警告」となる、まさにある意味で歴史的な会見になる、ともいえるだろう。
YouTubeの「令和の日本共産党ウォッチャーチャンネル」にぜひご注目いただきたい。
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