京都の寒さは「底冷え」という言葉どおりだ。師走に入ったある日、乗客の多くが寒風を避け、背中を丸めて早々とバスに乗り込む中、乗車できないお客さんをひとりも残すまいと「出発しますよ~!」と見ず知らずの高齢者を手招く老紳士がいた。
新刊本「さようなら志位和夫殿」(かもがわ出版)の著者・鈴木元、その人であった。
最後に乗り込んだ鈴木氏の表情は、YouTubeの撮影後でハイテンションであったこともあり、どこか上気した表情だ。
鈴木元氏の人懐っこい性格を知っている人は、親しみを込めて、「元(げんさん)」と呼ぶ。
元さんは元・共産党常任活動家、大学幹部職員、国際環境協力機構の理事長、と様々な経歴を持つ。しかし、筆者がもっとも相応しいと思うのは、「アクティビスト」だ。
乗り込んだバスのなかで、「人は何度の温度差まで耐えられると思うか?」について、突然話をはじめた。
〝シベリア抑留者の極寒の厳しさを体感したい〟と、モンゴルのウランバートルまで行きマイナス40℃を体感し、その数日後にフィリピンのマニラに降り立ち36℃を超す暑さを体験したそうだ。その温度差はなんと約80℃。普通の人間ならばそんなことは体験しようとは思わないが、なんでも自分の目で見て耳で聞いて体験しないと納得できない性分の元さんは、自分が体験したことからしか発言も行動もしない。
現場に足を運び調査し、発言することにずっとこだわり続けてきた人である。
鈴木元さんの除名をきっかけに20年ぶりに再会
新刊本の紹介をする前に、筆者と鈴木元氏との関係を簡単に書いておきたい。筆者が鈴木元氏と再会したのは、今年3月、共産党から鈴木氏が除名された直後のことだ。日本共産党の中央委員会政策委員会安保外交部長だった松竹伸幸氏が本年2月に共産党から除名された。党首公選制の導入など共産党の改革提言をまとめた「シン・日本共産党宣言」(文春新書)に感動した筆者は、松竹氏の除名の理由に鈴木元氏と「出版を示し合わせた」ことなどがあげられていることを知り、鈴木元氏の「志位和夫委員長への手紙」(かもがわ出版)を急いで買って読了し、その感想を伝えたくてコンタクトをとったのだ。
「再会」と書いたのは、筆者と鈴木氏との出会いは、筆者がまだ20代のころスキーのイベントのスタッフとして鈴木氏とスキーに行った頃に遡る。その後、仕事で何度かご一緒させていただいたが、鈴木氏が共産党の職員を退職した後は、20年以上音信不通となってしまった。
私自身も、長く政治の世界から遠ざかっており、日本共産党に関してはネットに出てくる情報を時々追いかける程度だった。それでも、松竹伸幸氏の除名がきわめて形式的な調査で「決め打ち」で行われたことや鈴木元氏との分派形成等も、こじつけであり恣意的なものだろうということは容易に想像ができた。
私自身の体験からも、共産党中央の幹部の考えとあわなかったり、組織の体面を汚す(と判断された)ような人間に対しては、共産党という組織は、とても冷たい対応をとることを知っていたからだ。鈴木元氏もさぞかし心を痛めているだろうと思い、慰めと労いの言葉をかけようとしたけれど、電話口から聞こえてくる鈴木氏の声は意気軒高、豪快に笑う声も昔と少しも変わっていなかった。1960年代から70年代、立命館大学の学園民主化闘争のリーダーとして、1000人規模の日本共産党員を生み出したレジェンドは、いくつになっても健在だった。
前著「志位和夫委員長への手紙」は、何を明らかにしたのか
さて、12月10日に上梓された 『さようなら志位和夫殿』(かもがわ出版 税込1980円)は、昨年12月に出版された「志位和夫委員長への手紙」(同)の続編である。
前著「志位和夫委員長への手紙」(以下「手紙」)は、「共産党は今、ここで改革しなければ、停滞・後退し、社会的に取るに足らない勢力に成り下がる危険がある」「自壊していくこともありうる」(「さようなら志位和夫殿」35ページ。以下「新刊本」)という強烈な危機感から、志位和夫委員長に退陣を迫るとともに、今の現状に即した現実的な党改革を提言したものだった。
この批判と提言に対して、志位和夫委員長をはじめ党幹部は、なんら反論も批判できず無視し続け、あまつさえ今年3月に調査と言い渡しの時間あわせても、わずか75分間という短時間で鈴木氏を除名処分に追い込んだ。
新刊本をお薦めする4つの理由
今回の新刊本は、その除名処分の前後に、鈴木元氏と共産党との間に、どんなやりとりがあったのか?除名後の10か月間、鈴木氏は共産党に対してどのように向き合ってきたのか?を時系列でまとめたものである。前著で示された「党改革の提言」も再録されており、新刊本だけでも鈴木氏の主張は理解できるが、除名に至るきっかけとなった、志位和夫委員長へのアグレッシブな意見書の提出と、それとあまりに対照的な共産党の沈黙とコソコソとした陰湿な対応が手にとるようにわかるので、前著とあわせて読むことを強くお薦めしたい。
以下、「新刊本」を筆者がお薦めしたい理由を4つご紹介しておきたい。
「党改革への具体的提言書」志ある若い世代にぜひ読んでほしい
ひとつは、前著も今回の新刊本も、いわゆる「反共主義」の立場ではなく、今共産党が置かれている現状から出発した党改革の具体的な提言となっており、党内の若手や政治に関心のあるすべての人びとに呼んでほしい内容となっていることである。
①不破哲三氏が事実上有権解釈をもつ、マルクス流の社会主義・共産主義から抜け出し社会変革を求める人びとの共同をすすめること、②新自由主義を克服し、企業の横暴を国内的にも国際的にも規制をつよめながら、日本のような先進国で「北欧型福祉社会」+「南欧型共同組合運動」の経済モデルを志向すること、③連合時代における政党のありかたとして、党を横断する政策集団を容認する、④党首の任期制、定年制度、党員による直接選挙の実施などを提案している。
実際には、このほかにも、大衆闘争のありかた、党名問題等もあるが、紹介した4つの項目だけをみても、いまの共産党の指導部のままでは絶対に実現できない内容であり、かつ抜本的で明るい展望を切り開く改革提言となっている。ぜひ、志ある若い人に読んでもらいたい内容だ。
前著から新刊本までのわずか10か月で、共産党の問題点が凝縮して露呈している
志位指導部が正面切って鈴木元氏の著作を批判できないのは、鈴木氏が突きつける問題点が的を射ており、事態がより深刻な形で目の前で進行しているからだ。
①党勢拡大を第一義的課題に掲げ、130%の党勢拡大はやればやるほど先細りとなり、来年1月の党大会までに目標達成できる党組織はほんの一握りにとどまりそうである。
②全国の地方議員選挙では、議席減や空白を新たに作り出すなどの事態が進んでいる。
③「松竹・鈴木除名問題」は、共産党が党内での民主主義がいかに形骸化してきているのかを明らかにしたが、除名問題にとどまらず、富田林市議選を巡ってパワハラを起こした議員の離党を許し、無所属立候補をさせて党組織ぐるみでそれを応援した事件など、未解決の課題が噴出している。
自由と民主主義の党といいながら、内実は党首への批判を許さない「家父長的体質」が根強く残る
①新刊本で解明されている新しい点として、鈴木元氏が強調しているのが、「党首を批判すると即除名になる」という点だ。志位和夫氏が幹部会委員長に就任して以降、破廉恥事件等で除名されたケースを除き、政治的主張をめぐり除名されたのは、松竹伸幸氏と鈴木元氏の2人のみである。しかも、鈴木元氏は、「手紙」や新刊本で党首公選を主張していたが処分はされず、今回現役の党首を批判したところ、たちまち除名処分となった。松竹氏に関しても安全保障問題ではすでに他の著書で同様の主張を行ってきていたが、志位和夫委員長の名前をあげて批判したところ除名となった。
つまり、自由と民主主義を大切にするといいながら、党首の批判は御法度という、きわめて家父長的な古い体質が根強くあることが明るみになったのである。
②市田・穀田の「親分・子分」の関係?恩人である鈴木氏との友情さえも投げ捨てるほど忠誠を誓ったのはなぜ?
極めつけは、党副委員長の市田忠義氏と穀田恵二党国対委員長の鈴木元氏に対する解せない態度である。今年の2月、市田氏は自身のFacebookで鈴木元氏を名指しで批判し、「俺が俺がの人間の」「哀れな末路」とこき下ろした。穀田恵二氏は、二度に渡り「読んでいないが共産党攻撃を書き綴っている。けしからん」と悪罵を投げつけた。それはまるで親分の機嫌をとる子分の立ち回りそのもののようだった。穀田恵二氏といえば立命館大学時代の民主化闘争を鈴木元氏と共に闘い、暴力学生の襲撃から命を守ってもらった恩人のはずだ。なぜ市田、穀田氏が執拗に鈴木氏への批判のトーンを強めたのか?俗にいう「立命閥」の絆のようなものが党の組織の中に二重構造のように存在するのか?この辺りはナゾの部分が多く、関係者への取材などを通じて真実が明らかにされることが望まれる。
志位和夫委員長交代なら間違いなくその引き金を引いたのは、鈴木元氏の著作
2024年1月に開催される日本共産党第29回大会への決議案を提案する会議で、提案に立ったのは田村智子党副委員長だったことから、「党首がいよいよ交代するのでは?」との観測がひろがった。
仮に、志位和夫委員長が党首の座から24年目にして降りることになれば、鈴木元氏が求めたとおりに事態が動いたことになる。志位和夫委員長交代への機運を作り出した立役者は、間違いなく鈴木元氏といえるだろう。
同時に、著者の鈴木氏自身は、このことについては、冷静に分析する。
「しかし、田村氏が委員長に就任しても、志位氏が議長になれば何も変わらない。ありえないと思うが、例え志位委員長が完全勇退しても、現在の路線を肯定した『日本共産党の百年』を承認したままの田村氏などが指導部にいる限り、党の抜本的な改革が進められることは無いだろう。誰が次期指導部になっても、松竹氏や私・鈴木元の除名を取り消し、謝罪し、私達を呼び党改革について意見交換し改革へ道を進めない限り、共産党の新生、立ち直り、躍進はないだろう。」(「新刊本」はじめに)
「さようなら」に込めた著者の思いとは
話は、冒頭のアクティビストにもどる。
鈴木元氏は、来年2024年には80歳となる。現在、自分の人生をふりかえる著書の執筆と、本業ともいえるベトナムを中心とした国際協力の活動で来年のスケジュールはすでにびっしりだそうだ。その合間を縫って、まだ訪れたことがないサハラ砂漠以南のアフリカと南米の国ぐにを歩きながらYouTube動画の配信をすることを筆者に約束してくれている。80歳にしてYouTuber・鈴木元の誕生である。
一級障碍者となった愛妻の介護と仕事を26年間にも渡って両立させ、大学幹部職員という立場からアジアを歴訪し高等教育の振興の拡大への貢献、国際協力活動の分野で、途上国の下水道整備やC型肝臓病の克服への支援等々、現場に足を運び格闘し現実を変えてきた実績は枚挙にいとまがない。
ところで、同じ時期に日本共産党は21世紀に入る前あたりから、保守、無党派との共同ということを重視して活動していたと記憶している。たとえ意見が違っても一歩でも二歩でも前進を作りながら、そこで生みだされた成果を互いに確認しながら、さらなる前進へあゆみをすすめようという、対話と共同による政治の前進である。
その時期、鈴木元氏は家庭の事情から共産党の常任活動家を離れざるを得なかったわけだが、全く別の新しい分野で「対話と共同」を実践し続けたのである。
その意味でもやはり、鈴木元という人間は、現実をつねに直視しながら対話と共同をすすめて現実を変える行動する人間=アクティビストなのだ。そしてそれは、今の共産党に最も欠けているものでもあると筆者は考える。
だから、鈴木元氏はいてもたってもいられず、意見を上げ続けたのではないだろうか?
世界を股にかけ現実と格闘する旅は80歳を過ぎてもまだまだ続きそうな気配である。
実は、「あとがき」に最後の最後に書き加えた一節があるという。筆者にそれがどの部分なのかを教えてくれた。
以下引用する。
私に家庭の事情がなく、そのまま共産党の専従を続けていたら、共産党が抱えている問題にもっと早く声を上げ、それこそ除名で放り出されていたかもしれない。その時であれば、私も若くて元気だったし、直接共産党の活動を共にしていた人も多数いたから、一波乱あったかも知れない。人生には時というものがある。来年には八〇歳になる私には、新たな組織や運動を一〇年単位で取り組む事は出来ないし無責任になるのでやらない。せいぜい本を書いて問題提起するぐらいなので志位指導部は一安心だろう。(231ページ)
「さようなら志位和夫殿」という新著のタイトルの「さようなら」という言葉には、鈴木元氏の改革提言に耳を傾けず問答無用に除名処分を強行した志位和夫委員長には、もはや期待ができないことから、
決別の意味を込めたということだろう。
同時に、新たな理論と情熱と運動に支えられたムーブメントが若い人たちの中から澎湃と湧き立つことへの期待の意味も当然込められているはずだ。
そのやむにやまれぬ思いをくみとることができない共産党に果たして明るい未来は来るのだろうか?(了)
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