鈴木元氏がFacebookで共産党の第2回中央委員会総会を痛烈批判

鈴木元
第二回中央委員会総会について 4月9日 鈴木元
 共産党は4月6日7日に第二回中央委員会総会を開催した。第一回中央委員会総会は大会の最後に人事と結語を確認しただけだから、実質的に1月15日から開催された29回党大会後最初の中央委員会総会であった。私は多分そうだろうと予測していたが結局党勢拡大を訴える「手紙」だけであった。

第2回中央委員会総会で報告に立つ田村智子幹部会委員長

 来る総選挙にどう臨むのか。勇ましく「自民党政治を終わらせる」と言うのはいいが、僅か10議席の共産党が単独でやれるわけはない。野党連合の再構築しかないが一言も触れられていない。野党連合を追求するなら松竹氏が言い、志位氏も一時期述べた「野党連合政権では安保・自衛隊容認」にせざるを得ない。しかし今、松竹氏に対して「安保・自衛隊容認を求めた」から除名したのであるから、そうは言えない。そうすると「安保破棄・自衛隊解散」を掲げて独自的躍進を訴えて臨むのだろうか。きたる衆議院選挙の小選挙区では現職の沖縄の赤嶺氏の再選以外は当選を目標にせず、比例での躍進を獲得目標にするために小選挙区で150名以上の候補者を擁立するとしている。ところで衆議院の長崎3区、島根、東京15区で補欠選挙が行われる。共産党は全て独自候補を下ろして政策協定もないままに立憲の候補者を推すことにした。来る衆議院選挙でも多くのところで同じように自らの小選挙区制候補を下ろし立憲の候補者を無条件推薦するのだろうか。そうすれば共産党の得票は減り比例の得票も後退することになるだろう。それでどうして党勢の拡大を進めることができるのだろうか。全党・国民にきちんと分かるように説明する必要がある。
 さて第二回中央委員会総会の目玉というか唯一の方針・決定は「党づくりの後退から前進への歴史的転換を」と訴える手紙であった。この1年間で三度目の「手紙」である。宮本時代の1958年に「党勢倍化を訴える全党への手紙」が出され「成功」した。それにあやかっての「手紙」であった。しかし当時は警職法改悪・勤評反対そして安保闘争の高揚の中で立ち遅れていた党勢を独自に追求しようと提起され「成功」した。しかしまったく違う状況、長くまともに大衆闘争も大衆組織の建設もしていない中で「手紙」を出したからと言ってうまくいく訳が無かった。そして事実、党を疲弊させただけで成功しなかった。にもかかわらず二回目を出し失敗し、そして今回三回目である。中央や県や地区の中心に座っている人々は党から給与をもらっている人々で志位指導部の指示に逆らうのは難しい。それにしても中央委員会総会で誰一人「ちょっと待ってくれ、こんなことを繰り返して党を潰すのは止めてくれ」という人が一人もいなかったことは、余りにも悲しい現実である。振り回されている支部の指導部や地方議員の人々は「中央の指導部は書く人」「県の指導部は、語る人」「我々は、歩く人」といいながら、杖をつき、手押し車を押しながら拡大に努める人の数がどんどん減っている。田村委員長は「全支部・全党員が動けば目標は小さく、達成できる」語っている。この「全区支部・全党員が動けば」というのは志位氏が委員長になったときに言い出した言葉であり、なんの根拠もなく「130%目標」を言い出したのも志位氏である。3回目の「手紙」で、ほとんどないと思うが、ひょっとすると4月は「前進」するかもしれない。しかし多くの無理を重ねるので5月は再び難しくなるだろう。党大会で拡大の模範県として特別発言をした福岡県の内田委員長にたいして私は「無理を重ねない方がいいですよ」と指摘した。内田氏は党大会において「福岡の拡大運動にたいして攻撃をしている連中などに負けない、拡大で反撃する」と言っていた。その福岡は3月末に大量減紙した。民青の福岡県委員会とも「パワハラ指導」で揉めている。さらに矛盾が表面化するだろう。
 ところで二中総の議題について志位議長は「手紙とその他」と提起したが「その他」については一言も触れられなかったし、今日までの赤旗でも報道されなかった。いわゆる秘密報告がされたのであろう。「国民そしてマスコミにも開かれた党」を謳い中央委員会総会での報告はユーチューブで実況中継がされ、全党員に視聴を呼びかけているが、相も変わらずの「秘密報告」では、その体質が疑われる。
                             取り急ぎ以上。

コメント

タイトルとURLをコピーしました