日本共産党を不当に除名された鈴木元氏が「日本共産党の百年史」について深く斬り込む論考の連載を始めました。日本共産党の現在の指導部のどこに問題があるのか?について、第一弾として民主集中制の問題が取り上げられました。今回からは党史が批判の俎上に上がりました。次回以降も続くとのことですので、楽しみです。全文の転載はここから。
第二弾「日本共産党の百年」について(要旨)、
その① 2023年8月30日 鈴木元
先の投稿から「忙中閑ありで八ヶ岳登山に出かけた、そして今日この「日本共産党の百年」について最初の問題意識を書くことにした。
はじめに
2023年7月25日、日本共産党は「日本共産党の百年」を発表した。私は22年の前半まで「百年史の発表は難しいのではないか」と思っていた。なぜなら共産党は90年代以降、後退し続けているからである。会社の社史でもそうだが前進しているときは、あれこれの失敗もありましたが、こうして前進してきましたと書ける。しかし人員整理や縮小に入っている時には書けない。共産党も前進している時は党史を発表していた。しかし「80年史」を最後に「90年史」は発表されなかった。
私は「百年史」は2021年の衆議院選挙や2022年の参議院選挙で1議席でも1票でも増えれば「反転攻勢の足がりを攫めた」と書けるが、後退すれば書けないだろう。いや何故後退したのか脱却の方向は何処になるのかを解明し書くべきだと思っていた。私は、共産党はこのまま行けば国政レベルでは取るに足らない勢力になってしまう。この点を改革して進むべきであるとの見地から「志位和夫委員長への手紙」(かもがわ出版)という本を出版した。しかし志位指導部は聞く耳持たずで、問答無用に私を除名処分した。
ところが志位指導部は昨年の党創立100周年記念集会において「来年の7月に百年史を発表する、その編集の責任者に自分(志位氏)が就任する」と発表した。そして、その時の百周年記念演説において、100年の歴史を①不屈性②自己改革③国民との共同としてまとめた、これは現在の活動・路線を肯定する政治的なまとめであって、何故後退してきたのか、どういう方向に打開の道があるのかという教訓を引き出すものでないことは予測された。つまり個々の誤りや弱点を書いたとしても、今の路線は変えないと宣言したのである。これでは次につながる根本的な改革の出発にはならないだろう。
私は今回、発表された「日本共産党の百年」そしてそれと関連する「赤旗」などでの解説や座談会などについて一通り、目を通した。私は1962年高校3年生の時に入党し60年間党員として過ごしてきた。つまり日本共産党の100年の内60年を党員として生きてきたのである。したがってここに書かれていることの大半は私自身が体験してきたことである。ソビエトや中国の共産党からの干渉との闘い、時の政権に対する鋭い暴露・追及、国民の護民官としての闘いなど、すべて私そして共産党の誇りである。全国の党員の大半の人も、読みながら「そういうこともあった」と自分の党歴と重ねて読んだと思う。しかし肝心なことが書かれていない。
なぜ90年代から後退し続けているのか、この解明がない。
共産党は「50年問題」などの大きな誤りや、60年代70年代のソ連や中国からの干渉と闘い自主独立を確立して前進するなど立派な点もあった。しかし大局的に見て90年代ぐらいから陰りが生じ後退してきた。もちろん「100年史」が書いているように衆参議員選挙などでは90年代も前進した場合がある。選挙はその時の政治情勢、候補者の組み合わせなども大きな要素となるので、党勢が後退していても前進する場合がある。問題は党勢(党員数や赤旗読者数)である、こちらの方は1980年の第15回党大会から今日にいるまで43年に渡って、一貫して後退してきた。何故そういうことになっているのか、このことを解明しなければ前進への手かがりを得られない。「百年史」の根本的欠陥はこのことの解明が無い事である。
戦後、社会党、共産党は何故伸びたのか
共産党の盛衰を考える場合、共産党だけでけはなく社会主義を志向していた社会党も一緒に考える必要がある。少なくとも社会党は片山内閣、村山内閣と二度政権についてきたし衆議院議員数においても1/3近い議席数を誇っていた。その社会党も90年代を境に大きく後退し、今や取るに足らない勢力になっている。
なぜ第二次世界大戦後、社会党・共産党は社会的に大きな位置を占めることが可能であったのか。もちろん共産党や社会党自身のそれぞれの努力があるが、それよりも共通する社会的土台があったが、それが大きく変わった。それに対する対応が十分でなかった。そのことをまず解明する必要がある。
第一に反戦平和の国民的合意があつた。
第二次世界大戦で日本人は310万人が亡くなり、全国の100を超える都市が無差別爆撃で破壊され、広島・長崎に原爆が投下され一瞬にして21万人の人々が殺された。この国民的な戦争体験によって反戦・平和は広範な国民的世論であった。この世論の反映として平和を説いた社会党・共産党の支持の広がりがあった。
第二に高度成長が春闘・福祉国家・革新自治体づくりの背景となった。
高度成長の最中、社会党や共産党などの革新勢力は高度成長政策を批判していた。しかし高度成長の始まりと同時に、利益の資本側と労働側の配分をめぐる春闘が発足し、賃上げを実現し労働組合・労働運動の前進をもたらした。そして、その労働運動の高揚を背景に高度成長で税収の増えた国や自治体を相手にした年金や医療保険の改善を求める国民的運動が進み福祉国家づくりを勝ち取っていった。また高度成長の負の面としての公害などの改善を求める住民運動の高揚、それを背景にした革新自治体づくりも進んだ。こうした運動を基礎に選挙や党勢拡大でも前進した。
第三はソ連をはじめとする社会主義国家の存在があった。
搾取と貧困が覆う日々の暮らしに対して、社会主義のソ連では「働く者が主人公の世界で、医療や教育は大学まで無料で保障されている」と宣伝されて、社会主義は少なからず国民の希望になっていた。事実、社会主義世界での福祉や教育の実績が資本主義国での社会保障確立の力にもなっていた。
しかし1991年にソビエトや東欧の社会主義国は崩壊し資本主義国になった。そして引き続き共産党が政権を握り社会主義国を名乗っている中国やベトナムにおいて改革開放・ドイモイ(刷新)の名によって外資の導入、私的経営の容認がなされ、一気に高度成長をとげ、社会主義の資本主義への優位性と言う神話が崩れた。
①社会党はもとより共産党も国民の前に資本主義を乗り越える社会について新たな説得力ある展望を示し得ていない。この克服が決定的に重要である。このことを私は2022年に「ポスト資本主義はマルクスを乗り越えて」(かもがわ出版)で書き、売り切れになっている。しかし共産党は一言も論評せず無視してきた。
②1985年のバブル崩壊によって高度成長は終わった。それは同時に春闘方式の終わりとなった。税収不足の国や自治体は臨調行革の名の基に福祉政策の切り捨てを進め、市民運動や住民運動が具体的成果を挙げることが困難になり、それらを基礎にした社会党や共産党の支持を広げることも困難となった。
労働運動の中心であった企業別労働組合運動はバブル崩壊の下に弱点を示した。それを克服すべき、産業別個人加盟制組合運動に発展させる努力も足りなかった。また国や自治体に対する闘争だけではなく、自ら協同組合や労働者参加企業創設などによって新たに生活を守る取り組みも例外を除いて十分に発展させることができなかった。
③そして戦後の日本の平和運動は被害の実相を国民的体験として述べる場合が大半で、加害の問題を含めてアジアの地域の人々との国際連帯を強め、和解を進める取り組みが弱かった。そのため戦争体験世代が亡くなるにしたがって平和運動は小さくなってきた。もう一つの論として「日本が再び侵略する危険がある。これを止めなればならない」として国民へ働きかけていた。しかし21世紀になって、侵略する危険より侵略される危険が急浮上し、従来型の平和運動だけでは国民的世論の大きな流れを作ることが出来なくなってきた。侵略される危険を直視しつつ、それを口実にした新たな戦争政策を批判するという新しい課題に対する工夫が必要になっている。
今回の「日本共産党の百年」の何処を見ても、戦後日本社会において社会党や共産党が躍進してきた理由と、その根本的変化により困難になってきたこと、その克服の方向の解明がなされていない。
上記の私の三つの論点は一つの試論である。しかし今、日本共産党は、このことを全党や支持者の英知を結集して解明しなければならない。それをしないで従来の認識と路線の繰り返しでは新たな発展どころか衰退の道をすすむことになるだろう。次に「日本共産党の百年」で書かれている、個々の論点について気になる事について、その②その③で書くことにする。
コメント
『日本共産党の百年』については、何人かの方が詳しく過去の党史と対比して分析しています。
歴史を都合よく変えていることがよくわかります。
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