1月20日 「革命党」に里帰りした共産党 鈴木元
(1)29回党大会が終了した。今回の大会での基調に流れたのは「共産党は革命党である」の強調であった。革命党であるがゆえに民主集中制を堅持する。民主集中制と党首公選制は相容れない・・等々。革命とはなにを指すのか?。議会での多数による合意で一歩一歩社会を変えていくことと、革命とはどういう関係にあるのか、どう違うのか、国民に明解に説明する必要がある。「共産党は革命党である」をメインにして訴え国民の支持共感を得られるのか?。そのこととかかわって未来社会としての共産主義について語られ「希望ある社会を目指そう」と語られた。今では民主連合政府でさえ「21世紀の遅くない時期に」と言っているのだから、共産主義の実現などは、それ以上の200年300年先のことであり、現実の政治闘争とは関係のない思想的課題である。共産党は思想集団になるつもりなのか。
(2)既に述べているように共産党は前大会以来、衆議院選挙・参議院選挙・統一地方選挙で三連敗し国政レベルでは取るに足らない勢力になっている。党勢拡大でも前大会より後退、もっといえば1980年の第15回党大会以来40年間も連続して後退し、党員で半分(25万人、赤旗で1/4(85万人)になっている。その原因の分析せず必要性の目標だけを述べ、責任も打開策も提起しないで党大会を迎えた。それをごまかすために未来社会論・共産主義を説き、また東南アジア訪問の成果を語った。しかしいずれも現実世界の政治とは関係のないことである。
なお今回の志位氏のあいさつの中で、今日の党勢の後退の理由として90年年代に「党勢拡大について党員と機関紙を両輪として追求し、事実上機関紙拡大に傾斜し党員拡大がないがしろにされた」これが党員拡大が進まなかった原因・克服すべき課題として説明された。もしもそれであれば90年代に赤旗も減紙続けたことの説明が付かない。
(3)こうした事態を変えるための改革を述べた松竹伸幸氏や私・鈴木元を問答無用に除名処分した。それに対して松竹氏は党大会に除名処分見直しの再審請求を行った。党大会において山下副委員長は大会幹部団としてそれを却下するとの対応したことを報告し大会では拍手で「了承」された。この山下氏の松竹氏に対する却下理由文書に対しては、当事者の松竹氏が自らのブログ等で批判されると思うので、私がなり替わって論じることは差し控える。ただ問題は私の著作「志位委員長への手紙」を「共産党を攻撃を書き連ねた本」と一方的に名指しで攻撃し、その内容を知りながら松竹氏が私に出版を早めることを働きかけ、党攻撃のための分派活動を行ったと批判している。この点に限定して反論しておく。
①私の本「志位委員長への手紙」(かもがわ出版)は党の改革を述べているが党攻撃などしていない。それは読めばわかることである。私の本が党攻撃を書き綴った本というなら論証し批判をすればよい。しかし3月17日の「赤旗」日刊紙に私の除名を小さく報道した以降、赤旗紙上で私や本の内容についての批判は一切行われてこなかった。赤旗日曜版では除名処分告知さえ掲載して来なかった。
②私の本について志位指導部が気に入らなくても、それを松竹氏が編集者として携われば分派と規定し、それを根拠にして除名するのは間違いである。そういう論理でいけば中央が納得しない本は党員編集者は編集担当出来ない。それは言論出版の自由を否定することになるし党員編集者は党直轄の出版社で党が承認する本しか編集出来ないことになる。
③私と松竹氏は綱領・規約・社会主義について見解が異なっている。今回の本は松竹氏の企画ではなく、前書「ポスト資本主義のためにマルクスを乗り超える」の続編として私が企画し出版社に持ちこんだものである。松竹氏と会ったのは校正時に喫茶店で一時間だけである、それがなぜ分派活動になるのか共産党はきちんと説明する義務がある。なお私の著作の中で「党内に分派・派閥を作ることに賛成しない」と明確にしているし「そうしたいなら党を出て新しい政治グループを作るべきである」と記述している。
④「同じ時期に同じテーマ」の本を出したり松竹氏が出版を早めることをすすめたことを、分派として批判している。しかし出版界では同じテーマの本を同じ時機に出した方が販売促進になることは広く知られていることである。共産党は出版社の党員にたいして「同じ時期に同じテーマの本は出してはならない」と指示することが出きると思っているのか。この件に関しては、かもがわ出版の社長が京都南地区委員会に「松竹氏の行為は出版社の社員として販売促進として、褒められこそすれ、否定されることではない」と抗議している。
⑤党大会で発言した京都南地区委員長は、その申し入れを受けた当事者である。同時に彼は大会において松竹氏が所属している新日本プロセス支部が「除名処分を支部ではなく地区委員会で処分することに同意していた」と発言している。しかし同支部は「それは事実でない、除名処分理由書からそのことを外してくれ」と申し入れ書を渡しているのに対応せず放置したままにしている。彼は「支部から地区で対応してくれと言われた」と公然と嘘をついている。
さて山下氏の報告に対する批判だけではなく、委員長になった田村氏の結語について触れておく。
大会の討議の中で神奈川県の大山代議員(神奈川県会議員団団長)の「出版より除名が問題」との発言に対して田村氏は結語において長い時間を取って批判した。私は大山氏の発言は問題の本質を捉えた発言だと思う。
私が知る限り、共産党が今回、私たちを乱暴に問答無用に除名処分したことにたいしては、広く社会的に「異論排除」として捉えられていると思う。ところが私の知っている人の一人が「松竹・鈴木があんな本を出したから共産党は地方選挙で苦労した」と言う人がいた。私の本は4刷まで行っているがせいぜい万冊単位のことであり、社会的に大きな関心や世論形成まで行っていないし党員の大部分のひとも読んでいない。しかし共産党が乱暴に除名処分したことによって「そこまでやるのか」と大きな反感を招き選挙で大きな後退の理由となったのである。
なお2日目の討論の最後の時間帯に大山氏に発言をさせ、その後に3人が大山氏の発言を批判し、とどめで山下副委員長が松竹氏の再審請求にいする却下報告を行い、拍手で山下報告を了承したとされた。市田副委員長は自らのフェイスブックに「我が党の大会は反対意見を自由に述べることができることを証明し、異論を封殺するというマスコミの批判を事実で反駁している」との趣旨で語っているが、「しゃべらせて」自由な党を演出したのではないか。しかし田村氏の結語で居丈高な大山氏批判発言を行った事を含めて成功した考えるのは間違いだろう。「報告と結語」に対する採択で8回大会以来初めての6名もの保留者が出た。
(4)人事
1)今回の党大会で幹部会委員長に田村智子氏が就任した。しかし志位和夫氏が議長に就任した。閉会の挨拶は党中央を代表して志位氏があいさつした。結局、宮本議長・不破委員長、不破議長・志位委員長と同じ体制で路線変更は期待できない。
2)そして今回も前党大会の常任幹部会が後継指名として今回の人事を推薦提案し世間で言われる選挙は行われなかった。全党員参加の選挙どころか、中国共産党が行っている最高決議機関である党大会で代議員による選挙さえ行われなかった。
3)常任幹部会員名簿を見た。①大会の前に「赤旗」紙上で「松竹氏は再申請する資格はない」と論じた土方明巣氏が新しく常幹に就任し、大会で松竹氏の再申請を却下した②立命館出身の大幡基夫氏と堤文俊氏の2人が新しく加わった。これで立命館出身者は常任幹部会員25名中5名(市田・中井・大幡・穀田・堤)となり20%を占めることになった。異常である。立命館2部出身で今回役員選考委員となって報告した市田氏は抑制的に動くべきであったがそうしなかった。他府県などからは「立命閥」「京都閥」と謂われても不思議でない。なお先の市田氏のフェイスブックで彼は常任幹部会員25名中、浜野忠夫氏(91歳)に次ぐ(81歳)として、暗に浜野氏の年齢までやる意欲を示していた。
3)山下氏の幹部団報告、そして田村氏の議案説明報告・結語において「民主集中制と全党員参加の党首選挙は相容れない」と選挙を否定し、宮本氏が不破・志位を後継者指名して以来、自分たちで後継者を指名していくやり方を今回も踏襲した。結局のところ「革命党」の強調は日本の社会変革のための路線にかかわるよりも、党指導部を選挙で選ぶことを拒否し自分たちで後継者を踏襲していく、「民主集中制を堅持」の名によって、党員が自由に横断的に討議すること、インターネット時代において広く社会的に討論することを許さないための方便である。
4)今回の党大会で不破哲三氏が常任幹部会員・中央委員をおり名誉役員になった。志位議長は閉会の挨拶で不破氏を褒めたたえる演説を行った。私は不破氏が国会において米軍の原潜の放射能垂れ流しを暴露し鋭く追及するなど大きな功績を残したと評価している。しかし晩年、不破氏はマルクス主義解釈権を独占するなどして大きな障害となった。綱領改定を前にして不破氏は突然「レーニンの『ゴータ綱領批判』の読み方は間違っている」と言い出した。つまり「資本主義に続く社会は社会主義、共産主義2段階である」というのに対して一段階である。社会主義の初期段階では労働に応じて報酬が支払われ、高度な社会になれば欲望に応じて富を得ることが出来るというのは分配論に傾斜した誤った読み方であるとレーニンを批判した。私は「分配論」に傾斜した見方に組するものではないが、これはレーニンのゴーター綱領批判の誤った読みかたであるとする議論に同調できない。マルクスの「ゴーター綱領批判」を読めば判ることであるが、マルクス自身が明確にそう書いていることである。不破氏は自分の社会主義論を展開するために、今日まで世界の定説となっていた議論を覆すためにレーニンは読み間違っていたとして、自分がいかにレーニンを乗り超えているかを強調した。そして分配論を乗り超える議論として社会主機・共産主義の真骨頂は「自由な時間の確保による人間の全面発達」を打ち出した。資本主義を克服する社会の第一の特徴は搾取からの解放である。今回提起されている共産主義論では搾取からの解放は提起されていないし搾取という言葉さえなく「自由な時間・全面発達論」に終始している。労働時間は世界的に長い労働運動によつて大幅に短縮されてきたし、高齢化社会の今日、定年後は100%「自由な時間」であり社会主義・共産主義社会の到来までに、大幅な労働時間の短縮、自由時間の増大が獲得目標になるし実現しなければならないだろう。そうした場合、不破氏が説くように全面発達を目標として定める事が正しいのだろうか。視覚障害者は絵画や写真の能力を高めることには制限がある。聴覚障害者は音楽の能力を高めることには困難がある。それぞれの人の個性を尊重しそれを発展させることによってより人生を豊かにして行くことを追求することが目標になるのだろう。このように不破氏の晩年の一面的な不正確の議論を党の公式の論として大会決定して党員を拘束し、それを批判するものを党決定を逸脱した者として批判するなどは間違っている。それを持ち込んだ不破氏の老害以外の何物でもない。しかし私の除名処分の中には私が不破氏の理論を批判したことを、これは党の決定を逸脱するものであるとした。そして不破氏の老害をを指摘したことに対して個人攻撃とした。これこそ不破氏の晩年の老害であり、志位氏を含めた取り巻きの誤りである。
(5)党勢拡大
共産党は1昨年(2022年)8月以来特別期間を取り組み「中間目標」として前大会(28回)回復、28回党大会比で130%達成を統一地方選挙中も第一課題として追及する誤った指導を行ってきた。しかし130%どころか、前大会回復さえ出来なかったが、何故出来なかつたかの総括も責任明らかにしていない。それどころか突然30年も前の90年代の党勢拡大において「機関紙と党員拡大を両輪として追及する誤った方針のために党員拡大の空白期を作った」との「総括」を示した。今、歴史的に総括するならば30年も前の党員拡大問題に限定した総括ではない、歴史的総括と言うなら1980年の第15回党大会以降40年以上党勢が後退し、党員は半分、機関紙は1/4になっている事を総括しなければならい。
結局、志位氏などの指導部の責任逃れの無責任な態度というほかない。しかし代議員の発言や赤旗に掲載されている感想文を読むと「中央の裸になった謙虚な自己分析に感激した」などの記述に終始していた。そして今回は2年後の次の30回党大会で28回党大会現勢回復、その次の党大会で130%達成という方針を打ち出した。しかし残念ながら、党大会に向けて無理に無理を重ねてきた党勢拡大は1月末そして3月末(年度末)に大量減紙になる危険がある。私は減紙を願っているのではない。党勢は伸びるべきと考えている。しかし年がら年中党勢拡大を第一とした「期日と目標」を決めたやり方は再検討しないと党は疲弊する一方だと言っているのである。田村報告にあるように今日、党勢拡大運動に参加している支部は3割、参加している党員は2割という現状がそのことを表している。
あらゆるつながりを生かして党員拡大を(赤旗拡大ではない)という方針の下、新入党員で「綱領」を読んでいる党員が5割という驚くべき事態となっている。「綱領と規約」」を認めることが入党の条件であるにもかかわらずである。「赤旗」を読んでいない党員、党費を納めていない党員、会議に参加していない党員が何万人といる。それこそ共産党は立党の精神に立ちかえって一旦、1年間ぐらい整党運動を行う必要があるだろう。失敗や負けを認めず、勇ましい進軍ラッパばかりを吹き続け自壊していった日本軍と同じ過ちを犯してはならない。
なお党大会において福岡県委員長の内田氏は「除名者(松竹氏や鈴木)が福岡県党は党員拡大の水増しをやっているなどと攻撃したが、その反撃は党員拡大で返すとの意思統一を県委員長・地区委員長連名の全党員宛ての訴えを出した。そしてどんなことがあってもの取り組みで党員において前党大会現勢を回復しました」(筆者による要旨)と発言している。松竹氏も私も「福岡県党が党員拡大で水増しをしている」などと一言も言ったり書いたりしていない。なぜそのような作り話で党員の士気を高めようとするのか。これでは第二次世界大戦中に「鬼畜米英」と叫び子供たちにルーズベルトの顔写真を叩かせたのと大して変わらないではないか。ありもしないことを言って憎しみをあおって「士気を高める」様なことはお辞めになった方が良いと思うがいかがか。
岸田政権は末期的症状を呈してる。現在総選挙を行えば共産党は歴史上初めて女性を党首にしたこともあって多少増えるかもしれない(最新のサンデー毎日では現時点で総選挙を行えば共産党は比例代表で1名増えると予測している)。しかし上記してきたような事から、党勢が大きく前進することは無いだろう。改めて私が提起しているような改革が必要である。取り急ぎ、以上。
コメント
※タイトルとは必ずしも一致しない話題なので、削除していただいても構いません。
私は13年ほど前に共産党の特定の政策に興味を持ち、ほぼその一点で、古い『前衛』などを中心に
読むことを趣味の一つとしています。その意味では、いわゆる「趣味者」の中の”つまみ食い派”です。
そのような限定的な視点から見ても、以前から共産党は独裁/寡占的な政党の印象でした。
共産党の理論的基礎とされる「科学的社会主義」とは、党中央(試されずみの幹部)が世の中の
すべての善悪を区別できる意味と理解しています。そこから外れた議論や意見は、すなわち反科学で
あり反共と認定(反共認定)されるのでしょう。
しかし、反共認定は私にはその基準があいまいで、そのため恣意的な乱用のリスクも高いと
考えています。仮に共産党政権になれば、容易に国民の人権を抑圧し、あるいは憲法すら否定して
しまいかねないほどです。
私はそのような考え方に基づいていたため、昨今の松竹氏を含めた党による処罰にかんしても、
やはり時間の問題と見ていました。
とはいえ、同時に敵対勢力に対する反共認定は、革命政党の共産党には不可欠と考えています。
人類史的な経緯から考えて、強権的ではなく民主的な革命という主張には違和感があるからです。
それから、です。
共産党は一貫して原発推進で、実は今でもそうです。共産党は原発(原子力の平和利用)の
諸問題を資本主義の矛盾と考えています。そこで共産党の指導により、そのポテンシャルを存分に
引き出す事を長期的な目標としています。綱領改定後の「原発ゼロ」は、例えるなら「資本家が
支配する原発はゼロ」という意味です。これらの根拠は、比較的新しい資料としては、松竹氏の
ブログであり、不破哲三氏の論文(『資本論』のなかの未来社会論)が挙げられます。
共産党は「原発と人類は共存できない」という、一般人には誤解を招きやすいキャッチフレーズを
多用しています。そのため、党員やその支持者が「反原発」や「脱原発」を公言するという、とても
奇妙な場面も見られます。これは中北浩爾先生のような有識者でさえ、共産党=脱原発と
事実誤認(近著:日本共産党より)していることもあり、無理もない話なのかもしれませんが。
もう1つの仮定ですが、共産党政権においては、やはり国民は、共産党が指導する原発に反対
できなくなると確信しています。
反共認定にはこのような意見をデマだと一笑に付し、そしてパージすることができるので、なにかと
便利だと思います。
結論としては、松竹氏のように、共産党に民主的な議論や手続き論を求めること自体が
そもそもの誤りなのではないかと考えています。
どうも大変失礼しました。(_ _)