鈴木元氏の日本共産党百年党史に関する論考②を転載します

鈴木元

鈴木元氏がFacebookに日本共産党の百年党史に関する論考の第二弾を投稿しました。今回から、具体的な論点に沿って批判的に検討しています。ぜひご覧ください。

「100年史第一章」(要旨) 2023年9月2日 鈴木元

 先に私は社会主義を目標として掲げてきた社会党・共産党が戦後なぜ前進し、後退してきたのかをきちんと分析し、打開の方向を引き出す努力をしなければならないと言う観点で一つの試論を述べた。その上で「百年史」の具体的記述について述べると書いた。つまりここからは共産党の百年史について述べる。そのさい膨大な記述の一つ一つに触れるわけにはいかないので、今日、共産党が前進するためには、この点は正しておく必要があると思われる問題に限定して書く。

(1)コミンテルン日本支部として創立された。

 コミンテルンとの関係はP3において極めて限定的に書かれている。しかし今日に続く共産党の根本問題を解明し打開するためには、もっときちんと深める必要がある。日本共産党はレーニンが創設したコミンテルン(世界共産党)の日本支部として創立された。コミンテルンは加盟にあたって21カ条の条件を明らかにし、それを認めてこそ加盟できた。その中心命題は①革命は暴力革命として行う②組織原則は民主主義的中央集権制とし、各国の党支部はコミンテルンの指示に従う。職業革命家による党として運営する。その財政はコミンテルンから支給されていた。③名前は共産党を名乗る。

 日本共産党は戦後、様々な経緯を経て自主独立路線を確立していき暴力革命路線は脱皮し議会を通じて社会変革を進めることになった。しかし②組織原則しての民主集中制と専従活動家を中心とした党運営。③党名を共産党とする点については変更しないままに来ている。この民主集中制と専従活動家を中心とした党運営が今日、桎梏となっている。また共産主義の名のもとに人類的悲劇が起こったことが明らかになっている今日に、なお共産党を名乗っていて国民の多数を組織できないことが明瞭になっている。この点についてきちんと深めなければならない。

(2)反ファシズム統一戦線についてリベラリスト・社会民主主義者の取り組みをきちんと評価し書く必要がある。

 共産党が戦前史を語る場合「唯一戦争に反対した党」と自己存在の意義を語ってきた。しかし1935年7月、コミンテルン第7回大会において反ファシズム統一戦線の方針が出された時、その年の3月に最後の中央委員の袴田里見が逮捕されていて統一的活動が出来ていなかった。従って共産党は反ファシズム統一戦線運動を日本では組織できなかった。それに対して京都を中心とした自由主義者や、横浜を中心とした社会民主主義はコミンテルンが呼びかけた反ファシズム統一戦線の呼びかけに応えた大衆的運動を組織していた。それも第二次世界大戦までに弾圧されつくされた。

 今日、自公政権や維新などによって憲法改悪を含めた戦争をする国造りが行われようとしているとき、戦争に反対したのは唯一日本共産党だけだと主張し、戦前におけるリベラリストや社会民主主義者の取り組みを評価しない党史は間違いである。戦前の最大の教訓は日本において共産党、社会党、リベラリストが団結して反ファシズム統一戦線を形成できなかったことである点を明確にし、統一を呼びかけることである。

 1935年の反ファシズム統一戦線論が提起されるまでのコミンテルンはスターリンの社会民主主義主要打撃論に基づき、社会民主主義者に対して打撃的攻撃を行っていた。またスターリンのベルト論(党の方針を大衆団体の党員を通じて機械的に押し付ける)に基づいて当時、党が影響力を持っていた労働組合や農民組合に「天皇制打倒」の方針・スローガンを持ち込み、合法団体であったこれらの組織を治安維持法違反の非合法団体にし、その幹部を逮捕に追い込んでしまった。これらについてのまともな反省の記述は見当たらない。スローガンが理論的・一般的に正しいということと、情勢と団体の性格、統一の見地を踏まえた活動と言う点でたえざる探求が求められるが、戦前の活動の弱点をきちんと踏まえなければ、戦後の闘いにも生かされない事を触れなければならない。「顕治と百合子の手紙」は個人の思想的営みであって、これを取り上げながら社会民主主義者やリベラリスト達の社会運動を取りあげないのは、あまりにも偏狭な記述と言わざるを得ない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました