鈴木元氏の最新の論考をご紹介します

鈴木元

共産党を不当に除名された鈴木元氏の最新の論考をご紹介します。Facebookへの投稿が不調で現在、復旧作業中ですが、先行して拡散はOKとの許可をいただきましたので転載し、ご紹介致します。

かなり衝撃的な内容となっているとの感想を持ちました。この論考をひとりでも多くの方の元に届けなければ、と強く思いました。拡散にご協力いただけると幸いです。

第一弾「民主集中制」について(要旨) 2023年8月23日 鈴木元

はじめに

 現在の党規約(2000年の第22回党大会で改訂)と旧規約(1958年の第7回党大会決定)とは、その記述において随分と違う。例えば「前衛党」「決定の無条件実践」「上級・下級」などの言葉が削除された。しかし60代以上の古い党員の人の多くは旧規約ままの感覚の人が多いと思われる。これらの事については松竹伸幸氏の近著「不破哲三氏への手紙」が詳しく論じているので、そちらに譲る。

 さて規約上の最大の問題は「民主集中制」であると考える。志位指導部の人々は昨年来「革命党、云々」を頻繁に言いだした。そして「民主集中制は最も民主的な制度」「革命党に取って不可分な組織原則」云々している。そこで共産党の組織運営を探求するために民主集中制について検討してみることにする。

1,書いてあるが、ほとんど行われていないこと

 民主集中制の基本は規約第三条においてまとまって書かれている。

第3条 党は、党員の自発的な意志によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。

(1)党の意思決定は、民主的な議論を尽くし最終的には多数決で決める。

(2)決定されたことは、みんなで、その実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。

(3)全ての指導機関は、選挙によってつくられる。

(4)党内に派閥・分派はつくらない。

(5)意見が違うことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 以上の五点の内、(4)の「派閥・分派は作らない」以外は一般民主主義であり共産党特有のものではなく他の党や労働組合等でも実施されている。

 しかし規約では書かれ、基礎組織である支部では実行されているが地区委員会や県委員会、中央委員会、党大会ではほとんど実行されていない。

(1)民主的討議をつくし多数決で決定する。

 一部例外を除いて1961年の第8回党大会以降、党大会・中央委員会総会は、基本的にいつも満場一致である。その理由として「科学的社会主義に基づけば真理に行きつくので満場一致は当然の帰結である」と説明されている。しかし方針や政策は真理ではなく、相対的選択である。綱領や規約を認めて入党しても「非課税所得の基準」をどうするか等、個々の方針や政策では意見が違うことはありうる。そのため規約に書いてある通り「民主的な議論を尽くし最終的には多数決で決める」運営を行うべきであるし、それが党内に活性化をもたらす。

(3)全ての指導機関は、選挙によってつくられる。

 普通世間では選挙は、自由立候補が常識である。しかし共産党の地区党会議や県党会議、そして党大会では、それまでの役員が次期役員を推薦するという後継者氏名方式で行われている。これでは現在の指導部と意見の異なる人が新しい指導部になることは無い。それが共産党が時代に即した新しい方針に切り変えられない大きな要因となっている。

 最大の問題である(4)「派閥・分派は作らない」であるが、規約の中には派閥・分派とは何かの規定がない。そのためその時の中央が〇〇は分派であると言えば分派として処分されるという全く恣意的な党運営となり、現在の指導部と異なる意見を持つ人々が排除される仕組みになっている。

2,書かれていないが行われていること

 規約のどこを読んでも書かれていないが行われていることがある。共産党は専従職員中心の党運営が行われている。一般的に言って専従役員と仕事を持っている非専従役員では掌握できる情報の量が異なるので専従職員役員のイニシアチブが発揮されやすい。しかも各県の委員長は中央役員で、その歳費は中央委員会から他の懸常任委員より1.3〜1.5倍程度支給されている。そのため中央と地方の意見が異なっても中央の方針が貫徹されることになっている。

 さらに問題は党大会代議員の7割を超える部分が共産党から給与を支給されている専従職員によって構成されている。それ以外の代議員も中央の方針に賛成する人々によって、反対・保留する人々が代議員選挙で落とされ県党会議、党大会代議員に選ばれる代議員は中央の方針に賛成人だけになっている。地区党会議や県党会議に参加したことがある人は経験しているが、発言は挙手によるものではなく、発言通告書を党会議事務局に提出し、その審査のうえで発言が許される。そして発言の冒頭で提出されている議案に賛成であることを明確にして発言しなければならない。

3、「革命党」を言うことによって、党首批判ならびに党首公選制を否定。

 2021年の総選挙で12名から10名に後退、その前は20名から12名に後退していた。さすがにマスコミだけではなく党内から「志位氏は責任を取って辞めるべきだ」「長すぎる、この際、党首選挙を他党のように全党員参加の公選制にすべきだ」などの意見が噴出した。これに対して志位指導部は「革命党の幹部政策」という言葉を使って批判・否定しだした。すなわち2022年5月28日の「赤旗」において党建設委員会なる性格も権限も不明確な組織名で「党首公選制を行えば分派が生まれ、党は分裂する危険がある」などと言い出した。その後党規約でも定められていないにも拘わらず党首公選制を言うことは党決定違反であると言い出した。また党首批判をすることは党内問題を党外から批判することで規約違反であるなどとして松竹氏や私・鈴木元を除名した。

 しかし党首は私人ではなく公人であり、そのあり方は広く社会的に論じられている問題である。

どの党の党首も選挙で敗れればマスコミを含めて党内外から批判され退陣を求められたりしている。また共産党の規約において「指導部は選挙によって選ばれる」と規定しているだけであって「党首公選制を行わない」など定められていない。決定されていないことを言う事は党決定違反にはならない。要するに「革命党の幹部政策」と言う名で規約違反を行い、批判や選挙を拒否して指導部に居座りたいだけである。

4、常任幹部会員の特権的地位はなくさなければならない。

 現在日本共産党は前指導部が次の党大会後の三役を推薦(・任命)している。そしてその三役が中央委員会を日常的に代行している常任幹部会員を推挙(任命)している。この常任幹部会員たちは国会議員の党員と同様の給与をもらっている。そして代々木の立派な党本部の建物に全員個室が保障されている。まさに党内特権層である。全国の県や地区の専従活動家たちが薄給と遅配に苦しんでるとき、このような特権的な処遇を保障されている人々が自分を推薦(任命)する志位指導部に逆らうことは出来ない。

 ところで志位委員長は2023年度政治資金規正法に基づく発表によると政治家所得ランキングで自民党の党首である岸田氏に継ぐ2位である。90歳を超える不破哲三氏は住み込みの運転手・コック付の広大な家をあてがわれて暮らしてきた。「庶民派」を売り物にしている市田忠義副委員長は8000万円から1億円するだろうと推察される豊洲のタワーマンションに住んでいる。しかも京都の自宅も売らないで住んでいるのであるから、そのお金はどうしたのであろうか。そして彼の党建設の本は赤旗紙上の大きな広告において全国の47都道府県委員長が名前入りで推薦を寄せるような党私物化を行ない、3刷になっているそうである。そして不破氏に次いで90歳を超える浜野忠夫副委員長が党大会において次期三役名簿を提出している。私は入党以来60年を超えるが、この人が特段の論文を書いたと言う記憶はない。またなにか名のある大衆運動で名前を残した記憶もない。そして衆参選挙や歴史的知事選で全国的に知られている人でもない。こういう人が不破哲三氏とともに90歳を超えても最高指導部の一人として残り、党大会において次期三役を推薦するなどという位置にいることは私には理解できない。浜野氏の特段の功績を知っている人がおられれば教えてほしい。いずれにしても共産党はこれらの老人が支配する党である。個人あるいは特定集団による独裁そして老害を防ぐためにも人類は定年制・任期制・選挙制を確立してきたのである。それを事実上潰してきたのが習近平でありプーチンである。しかし日本共産党は創立以来一度も、そして現在も定年制・任期制・選挙制を実施していない日本で唯一の政党である。この打開・改革抜きに共産党が国民の中に溶け込み政権を担う政党に成長することは考えられない。

5、民主集中制を確立し分派禁止規定を定めたレーニンと晩年の姿

 ところでこの民主集中制は誰が作ったのか。言わずと知れたレーニンである。彼はロシア共産党第二回大会において専制国家ロシアにおける革命党は職業革命家中心の党運営、下級は上級に従う、決定の無条件実践等の組織原則を提案し、マルトフ等などが説くドイツ社会民主党などと同様の大衆的政党論を拒否した。普通選挙が実施され合法政党として活動できたドイツと違って専制国家で普通選挙も政治的自由もなく社会民主党(当時はロシアも社会民主党を名乗っていた)も非合法化されているロシアではレーニンの方針が正しかったと思われる。しかし問題は戦後の日本では不十分ながらも政治的自由があり、普通選挙によって政権交代も可能な状況下においてロシア流の党運営はなじまないことは明瞭である。

 レーニンたちが1917年に革命をおこなった時には党内はレーニンが率いるボルシェビッキだけではなくメルシェビッキやトロッキーの調停派など様々な潮流を抱えた党であった。ところが1919年の第10回党大会最終日、レーニンは議題にはなかった「分派禁止」を内乱時における党の結束を理由にして提案した。代議員たちは内乱時において党が結束して闘うのは当然と考えて満場一致で可決した。ところがそれから半年程経ったころから、レーニンは反対派の人々を分派という汚名の下に除名・強制収容所送り、銃殺などを行った。正確な数はよくわからないが、当時50数万人いた共産党の内約10万人が追放されたと推察されている。

 当時、レーニンたち党の指導部の中心メンバーはクレムリンの中の質素な部屋で暮らしていた。しかしレーニンは軽い脳梗塞に倒れて以降、モスクワ郊外にあったロシア一と言われていた実業家の夫人の別荘を接収しレーニンの住まいとした。私はクレムリン内の元のレーニンの質素な居住区もそしてこの郊外の豪壮な屋敷も見て回ったことがある。そのあまりの違いに、これは駄目だと思った。レーニンはこの屋敷からクレムリンへの出勤はドイツのベンツの特別仕様の車で移動していた(現在も保存されている)。まさに新しいロシアの支配者の姿であった。日本共産党は長い間、レーニン時代のソビエトは民主的に運営されていたが、スターリンの時代に専制的独裁的国家となったと言っていた。古い党員の中では、いまもその当時の認識から出ていない人々がいる。

 しかし秘密警察を作ったのも、戦時共産主義の名において農産物の強制接収に反対する農民を逮捕し強制収容所に送ったり、その場で射殺したりする命令を発したのはレーニンであり、現場でそれを実行したのがスターリンであった。そしてスターリンを書記長に推薦したのもレーニンであった。先に私は、レーニンが分派禁止後、50万人の党員の内約10万人を超える党員を排除したと記した。この執行にかかわったのが秘密警察(全員レーニン派)であった。それまでは党外の反対派を摘発するために作られ使われていたが、党反対派を摘発するためにも秘密警察が使われた。これ以降、秘密警察は党外の革命反対派だけではなく、党内反対派と考えられる人々の摘発・粛清にも使われるようになった。スターリンはレーニン亡き後、このレーニンのやり方を一層徹底して行い、大規模な粛清を行ったのである。

 共産党は民主集中制を廃止し党の内外で自由に物が言える組織に改革しない限り、広く国民に溶け込み多様な団体・個人と団結して政権交代に向けて闘い、支持を広げていくことはできないだろう。

コメント

  1. Sonus Peregrinus より:

    日本共産党の綱領では相変わらず
    「レーニン = 善」&「スターリン = 悪」といった歴史観が提示されています。

    以下引用しますと∶
    「最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階においては、… 真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。…
    しかし、レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、… 勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。」

    上記の綱領箇所は次回党大会で全面的に改定されるべきではないでしょうか。

  2. とーぼ より:

    規約の第3条で「民主集中制を組織の原則とする」としながら、書かれていることは民主集中制ではない。事実上、改訂前の民主集中制の解釈で運用されることになるので、書いてあることは実行されません。

    「方針や政策は真理ではなく、相対的選択である」。方針や政策は、人為的な規則や想定にもとづいたノモスです。そもそも綱領や規約もノモスです。世界や自然の事実のピュシスではありません。ノモスとピュシスの峻別を言ったのがヒュームであり、カントはヒュームの指摘に世界は「独断のまどろみ」とし、ノモスの正義論に入っていきましたが、はたしてヒュームの指摘をカントは乗り越えられたのか、そのカントをマルクスは乗り越えられたのか。

    不破や市田の貴族生活は、レーニンの幹部防衛の考え方がもとになっていると思います。

    • Sonus Peregrinus より:

      ノモスとピュシスの峻別、ドイツ語で言いますと“Sollen”と“Sein”の区別、は哲学の基本中の基本ですね。

      その基本領域をカントは「純粋理性批判」で“Sein/ピュスィスphysis”の認識のあり方、及び“Sollen/ノモスnomos”との厳格な峻別を考察し、「理性の限界」(理性は何が出来、何が出来ないか?)を追求しました。

      この「理性の限界」が“Sollen/ノモスnomos”を対象とする「実践理性批判」や審美判断“Ästhetik/aisthesis”などに関わる「判断力批判」の大前提であり、起点でもあります。

      西洋哲学の豊かな遺産を継承するマルクスも、カントの様々な考察を批判的前提としていますが、レーニン&スターリンと続く革命ラインではそうした批判的視点が失われていき、政治的マルクス主義の貧困化に繋がりました。

      政治的判断を伴う「方針や政策」を恒常的「真理」(Sein/physis)として捉える発想は当にこのようなマルクス主義の貧困化傾向を踏襲するものです。

      「マルクス·ルネサンス」を唱える志位和夫委員長には、マルクス思想に潜む豊かな基流に焦点を当てつつ、政治的柔軟性と思想的深みを発展させて頂きたいものです。

  3. 小幡勉 より:

    鈴木さんのレーニン像の原資料は?

  4. いけオジ より:

    コメントをいただいている皆様へ
    blogに訪問していただき、コメントまで残していただき本当にありがとうございます。
    すぐにお返事をしなければいけないところでしたが、どなたのコメントもとても内容が濃く私の水準が追い付かないところも多々ありましたので、なかなかお返事できませんでした(汗)

    私自身もしっかり勉強して、みなさんについていけるようにいたしますので、ここまでのコメントへのお返事は、本コメントにてかえさせていただきますこと、お許しください。

    引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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