「真実一路」
私の知人に、共産党副委員長・市田忠義氏のファンがおり、参議院に初当選した頃、色紙にしたためてもらった言葉だそうだ。作家・山本有三の小説の題名にもあるこの言葉の意味は、
誠実を貫くこと。嘘偽りなく、ひたすら真心で尽くし通すこと、である。
さて、市田忠義氏は、嘘偽りなく、誠実を貫いているだろうか?
そう首を傾げたくなる出来事が、同氏のフェイスブックでの投稿をめぐって相次いでいる。
ここに、SNS上に広がった画像がある。それが、これだ。
これは、2月8日の市田氏本人のFacebookでの友人とのやりとりの一部である。(現在は、非表示もしくは、削除されて読むことはできない。)
コメントに名前がでているのは、鈴木元氏。
彼は、党のルールを無視して党の外から分派的活動を行い、党を攻撃したとして除名処分となった松竹伸幸氏の「分派の相手」と一方的に決めつけられた、京都でも有名な現役の日本共産党の古参党員だ。
しかし、松竹氏の除名から1ヶ月以上が経過して現在もなお、鈴木氏本人には、調査も処分もされていない。にもかかわらず、松竹氏の除名処分が公開された2月6日の翌々日、市田氏はFacebook上で、調査も処分もされていない鈴木元氏の人格を誹謗するコメントを書き込んでいたことになる。
SNS上では、「自分の組織内のパワハラを放置する組織に未来があると思うな」「党の内部のことを外部で悪意ある形で書き込むのは、党規約に抵触しないのか?処分の上、辞任すべきではないのか」など厳しい意見が広がった。
そんな中、鈴木元氏本人も、自著への侮辱的論評も含め、党幹部らに謝罪と「しんぶん赤旗」紙上での反論の機会を要求していたが、まったく無反応の共産党中央委員会の態度に、ついに反撃に出るようだ。
その第一弾として、市田忠義党副委員長に対し、Facebook上で根拠ない人格攻撃をされた、として、名誉毀損で法的措置を検討することを表明したのである。訴訟になった場合は、自ら法廷に立ち、最高裁まで争う姿勢も示している。
市田氏自らが、Facebook上で速やかに謝罪をすることを求めていくようだ。
以下、鈴木元氏本人のFacebookへの投稿の該当部分を引用し、紹介しておく。
市田忠義副委員長が広く社会的に開かれている自らのフェイスブックで「俺が俺がの鈴木は転落し、哀れな末路を示している」などとなんの根拠を示すことなく人格否定の攻撃をおこなったことは、社会的階級的道義を説いている共産党の規律を否定した言動と思う。
同時に社会的には名誉棄損の行為であると考えている。
それで今日、京都の著名な弁護士とそのことについて意見交換した。私が法的手段に訴える場合、当然私は自分で法廷に立つし、例え地裁で敗れても高裁、さらに最高裁まで闘うつもりである。
そのさい市田氏はどうするのだろうか。代理人を立てるのか、最後まで闘わず、自らの軽薄な発言を反省し和解を申し入れてくるのだろうか。
市田氏の発言は党の幹部の社会的発言としては共産党の歴史上なかったお粗末な発言である。撤回し、謝罪するのが問題をこじらさなく共産党のためだと思うがいかがなものか。
市田氏は、この鈴木氏の投稿を読んで、直ちに謝罪に応じるべきだ。
しかし、よくよく、市田氏のFacebookの投稿を読んでいくと、簡単に謝罪に応じるような方ではないのではないか?と、不安になる。
というのも市田氏は、先に画像で紹介したコメントが掲載された2月8日付のFacebookへの投稿の本文で、かなり問題があると思われる表現を連発しているのだ。
以下、該当場所を抜粋し、問題点を指摘したい。便宜上筆者の責任で①〜③を表記する。
①「党活動の障害になるどころか、最も民主的で、分派をつくらず、集団指導体制を保証する党首選出方法に、規約を踏み躙って、外から攻撃し、同志を募り徒党を組んで撹乱しようとする。綱領の肝である安保条約廃棄を捨て、その堅持を党の方針に据えよと攻撃して恥じない。」
→問題点
徒党を組んで撹乱しようとする、とは、すなわち、「悪事を企み、妨害をする」ことをさす。しかも、元々の「徒党」という言葉は、「よからぬ目的のために集結した、時として暴力的なやから」を指して言うことばであり、悪罵に近い表現だ。
市田氏は、同志であるはずの、鈴木元氏に対して、「暴力的な輩」という悪馬を投げつけ、人格攻撃を行っていることになる。
しかし、未だに、この文章が削除されていない、ということは、市田氏自身が、全く反省していないことの証左とは言えないだろうか?
②「わが党は幹部もそうでない党員も「俺が俺が」という人はいない。自分が党首に最も相応しいなんて思い上がる人は皆無だ。みんな謙虚だ。」
→問題点
これは、紹介したコメントを読めば、鈴木元氏をさして述べていることは、ほぼ間違いがないだろう。ここには、市田氏の党員への差別的視点があるとして、O.T氏がコメントで次のように厳しく批判している。
以下、抜粋し紹介する。
日本共産党員として「自分が党首に(最も)ふさわしいと思う人」は「思い上がった人」であり、「謙虚ではない」との趣旨である。
いかなる党員も「我こそは党首にふさわしい」と思えるぐらいの自負があって構わないはずだ。またそのような自負を抱くことは、決して「思い上がり」ではない。
すべての党員は平等であり、党員どうしの間に上下関係は存在しないからだ。
市田氏よ、語るに落ちるとはこのこと。あなたは日本共産党員に序列をつけて、文字通り「幹部」と「そうでない党員」を差別している。自分では気づいていないのだろう。
きわめて的を得た指摘ではないだろうか?
③「善意の党改革者を装って、真面目に、誠実に頑張る党員の背中から鉄砲を打ち、水を浴びせる人がどういう道を辿るかは自ずから明らかではないだろうか。」
→問題点
この文章は、明らかに処分された松竹伸幸氏とともに、鈴木元氏をさして、除名などの処分を受けることを当然視する姿勢が透けて見える。
3月6日の小池晃書記局長が記者会見で、鈴木元氏の処分の有無を聞かれ、「関係機関で現在も対応を検討中」などといくら他人事のように答えても、市田忠義党副委員長は、あけすけに、鈴木元氏の処分を当然視するかのような文章を残しているのだ。今回の松竹氏の除名処分に関して、党中央は「報告を受ける」という立場ではなく、主体的に関わっていた、と読む方が順当である。
市田忠義党副委員長は、鈴木元氏に、速やかに謝罪の言葉を述べ、自ら身を引くことで、誠実を貫き通して欲しい、と願うのは、決して私だけではあるまい。
真実一路。この言葉はあまりに重い。
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