能登震災支援と調査  9月24日鈴木元

鈴木元
能登震災支援と調査  9月24日鈴木元
 能登半島は今年の元旦に震災に襲われた。石川県は一一〇万の人口の内、在住外国人が一万七千人近くもおり、その内ベトナム人が4321人(37.7%)である。そこで今年の三月十七日十八日、内灘の千里浜にいた被災ベトナム人へ支援物資を届けた。その後、半年が経ったが関西に居る限りほとんど情報が入らなくなった。そこで九月十二日から十五日にかけて三泊四日で支援物資を届けることと、実情を知るために四人で車一杯に食材などを持って出かけた。

十二日 七尾と中能登に支援物資を届ける

 七尾と中能登の国際交流協会を訪ね、ベトナム食材等の支援物資を届けた。二つに共通することは、予てからベトナム人を中心に日本語教室を開いていて在住外国人のネットワークが作られていた。そのため震災に会ったとき直ちに助け合いの連絡網が作られた。今では休業や避難していた人々もほぼ戻って来ているということであった。ホテルに行く前に和倉温泉に寄った。建物の修復が出来ていないことなどで三月に訪ね時と一緒でまったく営業していなかった。ここでは布団の上げ下ろしや配膳どを担っていたのはベトナム人研修生であった。
 国際化は東京などの大都市の事と思われているがそうではなく、能登半島のような過疎地では外国人の労働力無しに産業は成り立たなくなっており、彼らが安定して暮らせ親元にお金を送金できけなれば去っていく。なお七尾の国際交流協会が作成した外国人居住者の震災体験記には十二カ国六十三名が投稿していた。

十三日 関係部門に実情を聞きに行く

 担当の行政部門はどのように掌握してるかを知るために訪ねて回った。入管所で所長に面談した。驚いたことは、震災後どれぐらいの外国人が帰国し、どれぐらいの外国人が戻ってきているかということを質問したが答えられなかった。統計数字は従来どおり一年に一回、二十三年十月時点の数字が五月に発表されたのを語られた。我々がしつこく質問したこともあって担当者のところから月別の数字を持参された。日常業務をこなしているだけで震災という異常事態が起こっていることに対応されていないことが分かった。
 続いて県の労働局を訪ねた。工場が被災し、まだ営業を再開できていなところが沢山ある。その場合、労働者を失いたく無い会社は、休業中も給与を出すが、「雇用調整金」として4/5が支給されているが一年間300日以内ととなっている。今それを「延長する」ように要望が届いている。また事業継続がてきない場合は、雇用保険が支払われるが、これまた雇用保険期間中に新しい仕事が見つからない場合、貴重な労働力が他府県に移動してしまう。なんとか県内で仕事が見つかるように努力しているとの話であった。ただ政府の方針もあって雇用調整金は人数のみの掌握で、日本人と外国人の内訳は分からないそうであった。その後三カ所を訪ねたが字数上から割愛する。

 十四日 輪島と珠洲へ

 三月には行かなかった一番被災が酷かった輪島と珠洲に出かけた。能登半島を貫く、さとやま街道を行った。地震でズタズタになった道は開通したとは言え、一車線になっていたり、迂回した曲がりくねった道や、陥没したところを応急的に補修したために大きな凸凹道になっていたりして到底復旧が終わったという状況ではなかった。とりあえず車で移動できるようになったという状態で、元の状態に戻るような本格的復興には数年かかると思われた。
 やがて輪島に入った。倒壊したままの家が放置されていた。震災からすでに8カ月が経っているのである。これでは「もともと過疎地で都市に集中すべきものを震災がそれを早めてくれた」と言う声が聞こえてきそうな状態である。火事で焼けた「朝市」も瓦礫を取り除く作業が行われている状況で、およそ復興が進んでいるとは言えない。時々テレビなど報じられる町の中心にあった倒壊したビルも相変わらず四つ角に放置されたままであった。ついで最北の珠洲に行った。ここも町のいたるところに倒壊した建物が放置されたままであった。海岸にあつた消防分団の建物と物見櫓も津波で破壊されたままであった。その近くにあった水産加工会社にベトナム人研修生がいるという情報があったので訪ねたが休みでいなかったが社長夫人が居たので残りの食材を支援物資として提供して分かれた。

十五日 元日べト会員と懇談

 色々な事情があって日ベト石川県支部は五年ほど前に解散している。現在も日べトの機関紙を本部から送ってもらい講読しているという人を探し当て、お昼前に面談し、今後情報を交換する約束を得た。連休中であったが大した渋滞もなく5時過ぎに帰宅した。
 我々が帰宅して一週間経った九月二十二日、能登半島を記録的な大雨が襲った。地震災害の上に大雨の被害という複合被災に襲われた。平地が少ないということもあって地震の被災者の仮設住宅の4割りが氾濫危険地域に建設されていて床上浸水などに襲われている。災害大国日本として防災対策を国策の第一にしなければならないだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました