本日、8月9日は長崎への原爆投下から78年目の日。
僕自身が政治や社会に関心を持つきっかけとなったのが高校3年の春に長崎を修学旅行で訪れ、原爆資料館に入ったことだった。
3枚の写真が僕の人生を劇的に変えたといっても過言ではない。
1枚は、全身真っ赤に焼けただれた少女の背中の写真
2枚目は、乳飲み子を抱えたお母さんの写真
3枚目は、弟を背負って呆然と立ち尽くす兄の姿。
これらを見たときに、月並みな表現だけれど、「全身に電流が走るほどの」衝撃を覚えた。
自分の兄や姉、親がこの現場に遭遇して、命を失うようなことになるなんて、絶対に嫌だ。
なぜ、これほどのむごいことがやられたのか?
怒りと恐怖で体中が震えたことをいまでも鮮明に覚えている。
そして、なぜ、が起き、今も続くのか、どうすればなくすことができるのか?
真剣に考える中で「白いまちヒロシマ」の映画を見て
そこで平和運動に携わる人たちと出会い、運動にのめりこんでいった。
高校3年生の夏のことだった。
あれから、38年。
平和運動に直接かかわることはなくなったけれど、
日本の平和と安全はどうあるべきか?を真剣に考えて
政策提言をしてきた松竹伸幸さんを応援する活動のなかに
身を置いている自分がいる。
奇しくも今日は、松竹伸幸さんが来年1月の共産党の党大会での除名処分の再審査を求める活動を
本格的にスタートさせる、そのための方針を記者会見で述べるという、重要な日となった。
この間、松竹さんがYouTube動画などでも強調されているのは、僕なりにまとめるとつぎのようなことだ。
2000年と2004年で綱領と規約を全面的に改訂をして、広く国民と結びつき、どんな問題でも根本的解決の展望とともに目の前の切実な願いを実現する政策と力をもちあわせて大きく発展できるはずであったのに、その新しい綱領と規約の理解が指導部の下で十分理解され具体化されなかったことから、著しい衰退に歯止めがかからない事態を引き起こしている。
自分が復党をして、本来もっている綱領と規約にたちかえった改革でたてなおしをはかりたい。
いったい、松竹さんの言論や行動のどこに綱領と規約を否定し、共産党を攻撃するようなことがあったのか?
冷静に議論していけば志位指導部の判断にこそ誤りがあったことは、おのずと明らかになるだろう。
本来、国民運動を大きく組織し前進させるべきときに、松竹さんや鈴木元さんを支配勢力の一味のようなあやまった描き方をして、やれ革命政党として反撃を、など進軍ラッパを吹いているようでは、ますます、本来の在り方からずれていくことになるだろう。
松竹さんの志は、除名の撤回というレベルではなく、復党して、党改革の先頭に立つことなのだ。
本日から公開されたホームページには、2月2日の京都南地区と京都府委員会の調査の録音データをはじめ除名問題の詳しい資料がすべて閲覧できるようになっている。
公式LINEは、松竹さんが直接あなたのLINEに情報を届けてくれる。
YouTubeは、かなり力を入れておられるようなので、今後の企画が楽しみだ。
本日公開された動画と会見の模様の動画をこちらで紹介しておく。
僕もいよいよ本腰をいれて、松竹さんの除名再審査と復党運動を支援していきたい。
最後に、本日の記者会見の様子を報じたメディアの記事をご紹介しておく。
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